大家朋友 Dajia pengyou
中国を旅行するのは実はとても面白い。昨今中国に旅行に行く日本人はとても少ない。1970年代、日中友好関係を田中角栄が開いた時には多くの日本人が中国に旅行に行っていた時代もあった。しかし九寨溝や万里の長城は中国屈指の有名な観光地の一つだが近年では日本人の姿はほとんど見かけないだろう。海外の有名な観光地で、これほど日本人観光客を見ない場所は多くない。壮大な自然と近代化した利便性。物価も安く飯もうまい。2万円程度で往復出来る航空券も多く、日本人の多くの人が想像しているより日本人に親切な中国人は多く色々な場面で多くの人が助けてくれた。広大な国土の中には僻地も多く少し田舎に行けば英語は全く通じない。文化の違いから信じられないような事が起こる事も多くカメラを持って旅するには飽きない国だ。現在の中国は今しか無いであろう。これから大きく変化し近代化が進んでしまい僻地の面白さがなくなってしまう。台湾好きの日本人なら間違いなく楽しめるはずだ。
EX-wife portrait
7年間一緒に居た妻と離婚をした。彼女は写真を撮られることが好きではなかった。
彼女が家を出た後の残った物、ただ何となくその場所に存在していた物にも思い出すエピソードがそれぞれあった。前妻の肖像写真。
ある時の断片
過ぎ去る毎日。気にも留めない通り過ぎる景色。それらを少しでも記録して写真にして収集していく行為が写真の面白いところだと思う。どの場所でもどのような日でも断片を切り抜いたら大した違いでは無いような気さえする。夜の雪道を散歩している時間の断片とTVでアニメが流れている時間の断片は何が違うのだろうか。私がそこに存在していた事だけでしかないが、それを証明出来るのは写真だけである。
PowerSpot
自然崇拝というのは太古から現在まで世界中にある信仰だ。日本の神道には八百万の神と言ったように万物の中に神は宿るといわれている。一つ一つの要素が大自然を形成していて人の力では及びようのない圧倒的な力。この作品を撮影をしたセドナに住む人々が自然を崇拝するのも当然の事のように感じた。
Natasha
インドの中南部にある小さな町プッタパルティはサイババを崇拝している人々のメッカである。そこで出会ったナターシャと私は恋仲になり一緒にインドの様々な場所を二ヶ月ほど旅をした。ナターシャの中には常にサイババの存在があり心の中のサイババと常に愛し合っていた。今で言う2.5次元な父親のような存在だった。私達は3人で旅をしているようだった。
日本語以外ほとんど話せない私と日本語が全くわからないナターシャは写真を撮ることが最も大事なコミュニケーションであった。
言葉は通じなくても惹かれ合いお互いに夢中になれたがナターシャと私との関係は結局長くは続かなかった。
誰もが日常的に目にする横断歩道。
都市を形成する上で欠かすことの出来ないシマシマ模様は歩行者を安全に対岸へ導くために描かれたセーフティーゾーンである。しかし確実な安全が保証されている場所など存在しようがない。私達が町で暮らす時に利便性を求めてエリアとして区切っている場所はどのような場所も常に不確かな領域である。反転した夜空のように足元には果てしなく美しい宇宙が存在していた。